上手くいかない時は、原点に戻ってみよう(つづき30〜40代 ソニー時代の事)

<上手くいかない時は、原点に戻ってみよう(20代〜)の続き>


回り道しながらも運にめぐまれソニー社員となれたが、さらに運が良かったのは、
盛田さん大賀さんの声をまだ直接聞ける時期、部署で働けたことだった。
ソニーで学んだ事は多く有るけれど、全ての判断・活動が設立時の経営理念から一つもはずれることが無かったということがソニーで学んだ一番大きな事だった。
ハンディカムがヒット商品になって行くところ、ミニディスクがなかなか立ち上がらなかったところ、VAIOがヒットして行くところ、ウォークマンが衰退して行くところ、死にかけたサイバーショットが息を吹き返すところ、AIBOがいきなりヒットしすぐにダメになったところ、QUALIAが失敗したところ、プレイステーションが大ヒットから衰退していくまでのところ。 いろいろな場面に直接関わりまた近くで見ることができたが、それらの運命を左右したのは複雑な要素があるのだろうが、大きくとらえるとソニーの原点を正しく解釈できたか解釈を誤ったかの違いだと私は思っている。
盛田さんが亡くなってから、いろいろな仕事を進めて行くとき「盛田さんが今いたら、どういう事を考えただろう」と想像することがよく有った。 これが、私の「ソニーの原点に戻って事を考える」方法となっていた。
当然のごとく、盛田さんの考えるようなことは到底考えられない訳だが、進んで行く方向性を自分なりに決めて行く事ができた。
こうして、約23年間 ソニーで働く事になる。
高校生の頃にワクワクする夢をこの会社の商品と広告からもらい、それ以降の私の生き方の原点となる「人々にワクワクする夢を与えたい。日本をもっとカッコいいデザインで溢れさせたい。大きくなっても遊びを忘れない人で溢れる日本にしたい」ということをソニーでの仕事を通して社会に貢献している実感を持てたから、迷いも無く長くこの会社で働けた。

けれど、2009年 ソニーを自主退社することになる。
ソニーの原点に戻って事を考えれば考えるほど、私の思いが会社の姿と乖離してしまう。
ソニーは、出井さんからハワードさんに引き継がれながら、それまでと変わることを望んだ。
会社が継続して行くために変化が必要とされたのは正しいのだと思う。
ただ、私の場合は、ソニーで学んだことがソニーを離れる理由を導いたということになった。



ソニーを辞めてからの話しは次に書こう>